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嗤う伊右衛門

映画『嗤う伊右衛門』を見ました。

原作は2年くらい前か、もっと前か忘れましたが、すでに読了しており、映画化されたことは知っていたけれど、原作を知っている映画を観て幸せな思いをしたケースに覚えがないといいますか、大抵の場合無念なことになるケースばかりですので敢えて鑑賞を控えていたのです。

それがなぜ観てみることにしたのかというと、レンタル店で何気なくパッケージを眺めたときに、そのキャスト陣に松尾玲央の名前があるのを発見したからです。彼女は『ほとけ』や『フィラメント』で「強い男に付いてまわる頭の悪そうな女の子」といった役どころに、グッとくる演技を醸しており、なかなか好印象だったのを覚えておりました。また、松尾玲央に改名する以前は「不二子」という名前で活躍しており、そのかなりイカした響きも良い案配だと、これまたグッときていたわけです。

肝心の伊右衛門役の唐沢寿明と岩役の小雪は、僕の好みとは外れた俳優ではあったのですが、まあ観てみないことにはそれもわからないし、とりあえずなんか不二子だし、ってことで借りてみることにしたのでした。

それでまあ結果としましては、はっきりこれは失敗でした。

前半のあたりはスパゲティ状に絡んだ人間関係を、ほとんど詳説せずに進んでしまい、原作を読んでいたから足りない描写をなんとなく補完できたものの、それでも途中でわけがわからなくなってきてしまいました。映画で初めて本作に触れた方は相当な理解力を要するのではないかと思うのです。

後半に入ってもそのあたりのもやもやはすっきりすることなくストーリーは進み、堂々巡りの哀しい因果関係を、映画からでは汲み取ることができないままエンドロールを迎えることになります。

それにしても原作とは外れたラストシーンの演出は何を意味していたのか、変えるなら変えるなりに上手いことその意図が伝わるようになっていたら、それはそれで良いと思うのですが、あれじゃあ無念です。

少なくとも原作に感銘を受け、じゃあ映画を観てみようという人にはちょっと向かない作品になってしまったのではないかと思います。

で肝心の不二子というか、松尾玲央ですが、それなりに重要な役どころを上手に演じてはいたとは思うのですが、なんか暗くて良く顔も見えないし、映画自体がつまらなければそっち系(どっち)な楽しみ方もあるなと思っていたのですが、それも結局、許されませんでした。

やはり「原作を既読していると映画が無念に思えてしまう」という定説は破れなかったといいますか、端からこうなるとは思っていたからこれまで観てこなかったわけですから、残念にも予想通りではあったといえましょう。

もし映画だけを観て『嗤う伊右衛門』はつまらないよ、と感じた方がいらっしゃいましたら、ぜひ同名の原作を読んでみてください。すばらしいです。よろしくおねがいします。

ところで今度は『姑獲鳥の夏』が映画化されるみたいですね。
たぶんまたしばらくは観賞しないことにすると思うのですが、原作は高校のときに初めて読んだ記念すべき京極堂一冊目。あのある意味無茶苦茶なオチは、京極夏彦の分厚い価値観にはまり込んでこそすんなり受け入れられるものだと思うのです。原作では、前半部分にそれを説得力のある言葉で巧みに頭に叩き込んできますが、映画の限られた時間で果たしてどこまであの世界観を表現しきれるものか、見ものといえば見ものです。

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