October 02, 2006
羽根の生えた馬の話:ディープインパクト凱旋門賞
日本最強馬と言われているディープインパクトが挑戦した凱旋門賞が終わった。
日本の競馬界にとっては長年の夢が現実になるかもしれない日だった。
今更ディープの戦績を紹介してもしょうがないので割愛するけども、3冠レースではまさに異次元の強さを発揮した馬だった。
有馬記念ではハーツクライに負けたが、3歳馬の走りとしては十分な強さ。
あけて4歳の春は順調に天皇賞(春)と宝塚記念を制し、凱旋門賞への挑戦が決まった。
2ヶ月程前からフランス入りし、じっくり調教を重ねて本番にのぞむ事ができ、現地の競馬関係者の間でも調教での走りを見て凱旋門賞制覇の1番手との声もあがる程順調に行っていた。
日本調教馬はこれまでエルコンドルパサーの2着が最高で、10着以内に入るのも指南の業と言われるレース。
それが前評判だけとっても1番人気に押す現地の新聞があるなんて少し前の日本競馬界では考えられない事で、2着だったエルコンドルパサーも前評判はそれ程でもなかった。
ワタクシも中学時代(※当然馬券は買ってないですよ?)から大学卒業あたりまで競馬にハマってた1ファンであり、日本調教馬の海外レースへの挑戦にはかなりの期待を寄せているというわけです。はい。
しかし期待とは別に心配な部分もあったりします。
日本の馬が海外のレースに挑戦するという事がある時に、激しく思う事がある。
「もちろん勝って欲しいけど、とにかく無事に走って戻ってきて欲しい。」
きっかけは当時ダート日本最強馬と言われたホクトベガのドバイワールドカップ。
ホクトベガは当時牝馬3冠レースであったエリザベス女王杯(現在は秋華賞が新設)を桜花賞、オークスと2冠していたベガに勝って初G1を獲得、「ベガはベガでもホクトベガ!」のフレーズにもなるほどの馬だった。
4歳(年齢の表記が変わる前なので当時は5歳)になると芝のG1に挑戦するが、勝ちきれないレースが続き、ひょんな事から出走した川崎競馬場のダートレース、エンプレス杯で18馬身という伝説になる勝利をあげ、一躍ダートの女王となった。
その後も圧倒的な強さで国内のダートレースを勝ちまくり、ダートの世界一決定戦であるドバイワールドカップに招待された。
その年のドバイワールドカップは季節的にほとんどありえないというスコールに見舞われ、順延になった。
そして4月3日、現役最後のレースが行われた。
ホクトベガはこのレースで現役を引退、そのまま欧州で有力種牡馬との交配が計画されていたという。
レースは4コーナーでホクトベガが他馬と接触、転倒して後続の馬にも接触、そのまま予後不良になった。
4コーナーで不利を受けたとの噂もあったが、競馬という物はそういう物なのでしょうがない。
当時学生だったおいらはテレビ(たぶんNHKBS)でそのレースを観戦していた。
7歳な上に牝馬という事で人気はそんなに高くなかったが、かなりの期待をしていた。
そんな中での4コーナーでの転倒。予後不良だったのを知ったのは次の日だったが、やっぱりショックだった。
さらには98年の天皇賞(秋)。
東京競馬場のG1レースはほとんど生で観戦していた時期で、このレースにはサイレンススズカが出走していた。
最近では珍しい大逃げを打つ馬で、宝塚記念等を勝ち栗毛の美しい馬体もあってかなり人気があった。
そのサイレンススズカも4コーナーで競争中止、そのまま予後不良となってしまった。
今でもあの東京競馬場の騒然とした雰囲気は忘れられない。
4コーナーからサイレンススズカの乗った馬運車が帰ってきた時、予後不良になったという事は誰も知らず、場内からは拍手と無事でいて欲しいという声があがっていた。
長くなったけども、そんな事もあり今回のディープには期待していた反面、これだけの馬だけにとにかく無事に帰ってきて欲しいという気持ちが強かった。
レースの方は1番人気の本命として堂々としたレースをし、最後は3歳馬に差されて3着。
展開によっては勝てたレースだと思うが、立派なレースだった。
今後はおそらく年末の有馬記念に出走して引退という事になるのかな?
できれば来年もう1度凱旋門賞に挑戦して欲しい気もするが、あまり酷使するのもかわいそうだ。
24時35分からのレースが終わった後、10分程放心状態になり、興奮と悔しさと安堵感でちょっと泣いた・・・・。
お疲れ様としか言いようがないけども、お疲れ様でした!
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